「珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を」ネタバレ感想 評価☆1

一言で言えば,中学生が書いた黒歴史,ですね。

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

 

 商用で出版できるレベルではないでしょう。

 

まず,巧拙の範囲を超えておかしい部分が散見されます。

 

第2話で,リカが,玄関からのぞきこんだだけで,そこにあったコーヒーを「ブラックのコーヒー」と断言するのは,極めて不自然です。p62

一読したときから,ひっかかりすぎるほどでした。

 

結局,これは伏線だったということなのですが,(p95)あまりに不自然すぎて,聞き手のキャラが「それ,どういうこと?」と即座に問い質すのが当然のレベルとしか感じられず,伏線になっていません。

 

僕は,小説はゆっくりと全文を味わうように読むのですが(娯楽のために読んでいるので,急いでも仕方ない)この文章は読めずに,筋だけを追うために斜め読みしました。

 

また,文章に意図が見えないです。

 

例えば,たまたま最近読んだ,東野圭吾のガリレオ8ですが,視点人物の草薙が,初対面の人に会ったとき,外見や印象が書かれますが,「目がぱっちりとしている」「浅黒く四角い顔をしている」などと,簡潔に表現されます(記憶で書いているので,一言一句違わずにこの表現だったということではないと思いますが)。

 

確かに,初めての人に会ったとき,無意識のうちに何らかの印象を抱きますが,服装,顔立ち,足がすらりと伸びていたかなど,すべてを事細かに認識するわけではありません。

1つ2つの印象的な部分だけが印象に残るのであり,そうした現実の人の認識作用に近い表現を,東野氏は意図的にしているのだと思います。

違う言い方をすると,意図的に書き込みすぎないようにしているのだと思います。 

 

転じて,タレーランを読むと,描写に意図が見えません。

もって回った表現や比喩をすれば,小説っぽく見える,作者が単純にそう考えているだけであるように感じられてなりません。

これが「中学生っぽい」「黒歴史っぽい」のです。

 

また,キャラクターのキャラが定まっていません。ぶれます。

堅苦しい会話をしたかと思えば,厳しいツッコミ……というより単なるキツイ物言いをし始めます。何も考えずに,かつ推敲せずに書きでもしないと,こんなように書くのは難しいでしょう。

 

キャラクター同士のコミュニケートにおいて,非難する,という場面が目立ちます(非難がましい目で見た,など)。

現実の社会で,それほど非難し合うということはないでしょう。

 

例えば,コーヒー豆の種類を間違えて仕入れた仕入先に対して,後で「問い詰めよう」という表現がありましたが,継続的な付き合いがある仕入先という設定でしたし,良いコーヒー豆を売ってくれるということで買い手が必ずしも強い立場とも言い切れないようでしたので,現実社会なら「問い詰める」ということはしないのではないかと思います。

現実であれば,仕入先に「確認する」「問い合わせる」,キツ目に言うとしても「文句を言う」「クレームを入れる」くらいでしょう。

作者が,社会人経験が乏しいのでは,と思わせます。

 

エキセントリックなキャラクターが多すぎます。

ある意味,ヒロインも含めて全員がエキセントリックです。

暴力的であったり,キツイ皮肉を言ったりします。

エキセントリックなキャラがいるのはいいのですが,それに振り回されるようなマジメなキャラや気弱なキャラがいた方が,対比で引き立ったような気がします。

 

総じて,エンターテイメント作品=読者を楽しませるための作品,ではなく,作者が楽しんでしまっているような印象を受けました。

読者を楽しませるという意図がないので,表現やキャラに欠陥が生じるのです。 

 

このように,作品としてのクオリティは低いと評価せざるを得ませんが,良い意味でも「小説家を志して放課後に喜々として創作する中学生」という感じを受けます。

 

もちろん,出版社の「売らんがな」という意向もあったのでしょうけれど,何はともあれ売れた実績もあるので,運も実力のうちと言いますか,今後の成長を生暖かく見守りたい気持ちになります。

 

作者の書きたいものもあるのでしょうけれど,いきなりシリーズものではなく,単発で,きちんと人の死ぬミステリーを書いてくれれば読んでみたいです。